就職活動のことを思い出したので、参考になればと書いておきます(1)

僕の就職活動

就職活動のことを思い出したので書いておきます。

1993年にした就職活動、結構大変だったなあ
という印象があります。

留年してしまったために就職活動が1年遅れ、
大企業も採用をかなり絞り、厳しくなりました。

ちなみに僕が働いていた会社の採用人数ですが、
1986年入社が500人以上、ちょっと飛んで
1991年が300人位、1992年が250人位、1993年入社
が120人位、そして僕と同期の1994年が57人でした。

倍々ゲームではなく、半分半分ゲームで採用人数
が減っていきました。

今考えると、これは会社としてかなりまずい人員
政策ではないかと思いますが、まあそれはいいとして。

留年したから結構大変。

当時は、大学4年になる年の正月から家に
どっさり、会社案内が届いたものです。

僕が住んでいたアパートや実家にもたくさん
届きました。

でも留年が決まっているためそれらは必要なく
捨てることになりました(ああもったいない)。

そして翌年は、会社案内が殆ど来ませんので、
自分で電話して取り寄せる形になります。

(一部会社からは、留年を察してか会社案内が
来てましたね)

面倒くさかったです。

その会社案内についているハガキを会社に送り、
説明会などの案内をもらえるようにしておきます。

説明会や、説明会と称した面接などの案内が
ハガキとか電話で来ます。

当時携帯は、平野ノラが「しもしも~」って
言ってるあんなやつ(超重く、充電器デカイ)
しかなかったので、家で電話を待つことになります。

ハガキ以外には、サークルの先輩などに連絡して、
OB訪問させてもらったりしていました。

これらの段取りがちゃんとできるかどうかが、
仕事ができるか(労働者として)の判断の一つ
になっていたのでしょう。

僕は何とか地道にハガキを書いたり電話したり
して、面接やOB訪問のアポイントを入れて
いきました。

「面達メソッド」が面倒になり、無視。

当時、中谷彰宏さんが書いた「面接の達人」が
就職活動生のバイブルで、みんな会社分析とか
自己分析をして、面接に臨んでいました。

しかし僕はもうなんだか面倒くさくなって、
違う方法を選んだのです。

それは、「こっちから、人を基準にして選ばせて
もらう」という、ある種傲慢かつ手抜きの方法。

会う人会う人に、「私は、会社を代表して私に
会って下さる人を見て、会社を選びます」

と言っていました。

長くなってしまったので、明日に続けます。

 

★★

kindle本(電子書籍)発売中!

■じぶん経営計画

→ http://amzn.to/2gGJRxj

人生の悩みを解消するための本です。

■著者から見た、出版のすべて
 http://amzn.to/2edKFMh

■馬主の教科書(入門編)
 http://amzn.to/2edKNvl

■仕事ができなくても、お金がなくても、人嫌いでも、楽しく不安なく生きていく方法
 http://goo.gl/iyF84A

■悩みを一つずつ解決し、シンプルに生きるための手順
 http://goo.gl/qGLW8K

■お金でもう悩まないための考え方・計画法・管理法
 http://goo.gl/RLZ85o