立ち止まり、考える時間をつくる

おはようございます。

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今日は、文章を書くということについて書きました。
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さて、
変わらぬ姿勢で毎日毎日、同じことを続けていくことは、
とても大事ではありますが、同時に「変わること」も
とっても大事だと感じます。

例えば、同じ仕事をずっと同じやり方で続けていたら、
ゴミも紙も溜まってくるでしょうし、やり方も古くなる。

そして、時代が流れて少しずつ変わっているのに、それに
ついて行けない、ということも起こります。

何をやるにしても、少しずつ変えていくことが必要
でしょう。

そのためには、「考える時間」を持つことも大事だと
考えています。

同じ仕事を毎日繰り返している、そして人と会い、
作業をして、毎日忙しい、というのもよくわかります。

しかし、時には立ち止まって、自分のことを振り返り、
客観的に観察した上で、どこをどう変えていこうか、と
考えていくことも必要で、そのためには、考える時間を
取らなければなりません。

それを飛ばして、毎日ルーティンで仕事をこなしていく
という人もおられるでしょう。

ただ、出来れば「考える時間」を取って、立ち止まって
考えてみましょう。

そして、変えるべきところは変えて、捨てるべきところは
捨て、新たにスタートするのです。

それを繰り返すことで、強くなるし変わることもできると
考えています。

考える時間、ゆっくり立ち止まる時間、振り返る時間、
未来を想像する時間。

そういった、日常から隔絶された時間を意識的につくる
ことは、大事だと思います。

★★

「note」で、『著者としての「出版のすべて」』
という記事を書きました。

https://note.mu/yamamotonoriaki/n/n8ac43206ffbf

有料ですが、僕の出版について、すべてを書いて
いますので、お読みいただければ参考になると
思います。

よろしくお願いいたします。

何かをやめたいとき、どうすればよいか

★「note」で、『著者としての「出版のすべて」』
という記事を書きました。

https://note.mu/yamamotonoriaki/n/n8ac43206ffbf

有料ですが、僕の出版について、すべてを書いて
いますので、お読みいただければ参考になると
思います。

よろしくお願いいたします。

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今後の人生のことを考えたとき、「これはやめよう」
と思うことがあるかと思います。

例えばタバコ、お酒、無駄遣い、暴飲暴食、ギャンブル、
ネット依存、その他もろもろ。

こういうのをやめたいと思った時は、本当に
「完全にやめる」と決めて、それ以降一切しなければ
やめることが出来ないでしょう。

僕は昔タバコを吸っていたのですが、「禁煙セラピー」
という本を読んでやめました。

そこに書いてあったのは、

「あなたがタバコを、これからあと一本でも吸おうと
するなら、それはツルツルの滑り台の上に座って
いるようなものだ」

という言葉でした。

次の一本を吸ったとしても、多分しばらくあなたは
タバコをやめられるだろう。ただ、その
「いつでもやめられる」というのが怖い。

「いつでもやめられる」からと、また一本吸い、
またしばらくやめて、次も
「この一本を吸ってもいつでもやめられる」となり、
その間隔がだんだん詰まってくる。

そして、以前と同じようにまたタバコ依存に戻って
しまう。

そのようなことが書いてあり、確かにそうだと感じました。

タバコをやめてから、「一本だけ吸いたいな」と思った
事もありましたが、その言葉が印象に残っていたので、
「この一本がまた悪の道への始まりだ」と考え、完全に
吸わないでいることが出来ているのです。

ギャンブルだって同じで、額を小さくしようが、やる
間隔を長くしようが、また当たってしまい、それが
気持ち良くてまた始めてしまい、額も大きくなって
しまうのです。

やめたいのであれば、絶対に、「完全にやめる」ように
しなければなりません。

そして、自分のことを、「タバコ辞めた」じゃなくて、
「タバコ吸わない人」と決めなければなりません。

「ギャンブルしない人」
「無駄遣いしない人」
「SNSやらない人」
「暴飲暴食しない人」
「間食なんてしない人」

などと、自分のことを決めつけるのが大事で、
その状態を続けていけば、やめられることが出来る
はずです。

僕は、一日一つずつ、何か悪癖となっていることをやめて
いこうと考えています。

さあ今日は何をやめようかな。

ムヒカさんにハマる。

ウルグアイの前大統領、ムヒカさんに関する
記事とか本、動画などを見まくっています。

↓これ読みました。なかなかいいです。
http://goo.gl/9TW6iH

↓動画でわかりやすいのはこれかな。
https://www.youtube.com/watch?v=uQUbC_22DBo

ムヒカさん、好きです。ガチリスペクト、いや、
ガチレスペトです。

ムヒカさんの発する一言一言に重みがあり、
深みがあり、渋みがあるのです。

特にいいのは、

「あなたはモノをお金で買っているのではない。
そのモノを買うお金を得るために費やした時間
で買っているのです」

というのと、

「働いて、働いて、時間をなくして、できる
ようになることは、『請求書を払うこと』」

私たちは、幸せになるためにここ(地球)に
来たのに、もっともっとモノを得るために、
もっともっとお金を得るために、
仕事ばかりをして、一生を終える。

それは悲しい事なんではないか、とそんなこと
をおっしゃっています。

確かにそうですね。

改めてSNSを見てみたのですが、

・自分はすごい
・こんな場所でこんな人と会っている
・お金をたくさん得ることが出来そうだ
・仕事で素晴らしい実績を挙げている
・こんな豪華な食事、豪華な旅行に来ている

といった投稿が多かったです。

ムヒカさんと反対、反ムヒカなのです。

僕の現在は、反ムヒカではなく半ムヒカだと
思います。まだまだ中途半端。

日本経済はもう伸びないんだし、規模を縮小して、
自分の好きなことをやって、それに時間を使おう。
ビジネスのことばかりを考えるのは良くない。

そんなことを言ってはいますが、実際のところ、
まだまだお金を得るために働いてしまって
います。

今のところは、請求書を払い続けるための人生に
なってしまっています。

それを大きく変えようと思います。

これから、さらに自分を変えて、ムヒカ流で
いこうと思っています。

リアルムヒカになるために、何をするか、
ゆっくり考えたいと思っています。

勝負事や競争事に対峙するとき、どう考えればいいのか。

「日々、一生懸命・一所懸命生きて、勝負や競走に
勝つために頑張る。だけど、負けることで自分の
価値が落ちることなんてない」

と考えています。

生きていると、勝負事や競走ごとに接する場面が
多くなります。

それを避けていく生き方も、もちろんできます。

勝負事や競争と縁のない、またはそれに接する機会
の少ない生き方もできますし、それは魅力的だと
感じます。

どちらを選ぶかは自分次第で、好きな方を選べば
いいし、0か1の問題ではないので、比較的
勝負事や競争ごとから遠ざかった生活を送ると
いうこともできるでしょう。

別にそれは自分が選べばいいのです。

ただ、僕はいまのところ、結構多くの時間で、
勝負事や競争と接して生きています。

今のところはそれが好きなので、それはそれでいい
と感じています。

ただ、勝負事や競争事を減らしていく生き方にも
魅力を感じています。

それはさておき、勝負事や競争事にさらされて
生きている人が、特に都会には多いと思います。

勝てば嬉しいですし、負ければ当然悔しいです。

負けが続くと、勝つために何をすればいいかを考え、
実際にそれを実行していきます。

その過程が素晴らしいと感じます。

勝つためにどうすればいいかを考え、毎日地道に
やっていく。これはこれで素晴らしいことです。

ただ、毎日地道にやっていっても、どうしても
勝てないことはたくさんあります。

ジャンケンなら勝ったり負けたりで、負けっぱなし
になることはあまりありませんが、勝者の少ない
争いにおいては、敗者が殆どなので、自分も負ける
側に立つことが多いかと思います。

その時に、負けたことによって自分を卑下したり、
「ああ、自分はダメだ」なんて思ったりする必要
など、全くないはずです。

勝つためにやることは素晴らしいですが、結果と
して負けても、その結果を必要以上に悔やむ必要
はないと思っています。

負けたら負けたで、また次からやっていけばいい話
です。

「あいつは、負け続けで、ダメな奴だ」

と思う人はいると思います。

でも、そんな人の言うことは、スルーでいいのです。

負けても、自分が納得すればいいですし、納得でき
なければ、またやっていけばいいのです。

勝負に負けようが、取り返しがつかないなんてこと
は、基本的にはないわけですから。

(負けたら取り返しがつかなくなるような勝負は
しなければいい)

勝負事や競争事に臨むために、地道に一生懸命、
一所懸命生きるということは素晴らしいことだと
思います。

同時に、勝負と関係ない世界に生きるのも、いい
ことだと僕は考えます。

結局のところ、生きていればそれだけで素晴らしい
のです。

勝負に負けて傷ついている皆さん、まあいいではない
ですか。

今日からまた、やっていきましょう。

イチロー選手の動画から学ぶ事が多い。

イチロー選手と稲葉篤紀さんの対談(報道ステーション)
を、ネットの動画で見ました。

https://www.youtube.com/watch?v=4HOaW_aXKmo&nohtml5=False
https://www.youtube.com/watch?v=-SkkG8u2YeM&nohtml5=False

勉強になることがいくつかありました。

まず、

「高校野球をやっているとき、甲子園には全然
行く気なかった。プロになることだけ、一点を見ていた。
プロに入ったら、ドラフト1位だろうが10位だろうが、
同じところからのスタートなので気にしてなかった」

ということ。

「一点突破主義」です。

僕も陥ってしまっているのですが、情報が多く、
色々なことに惑わされてしまう今の時代だからこそ、
一つに絞ってやっていくことが大事です。

そして、一点を突破したら、突破したところから
広げていくのです。

例えば本を出したいのであれば、本を出すことの一点
に集中し、それを突破してから、中を広げていけば
いい。

そのようなことを再確認しました。

それから、

「同じことを続けてみるといい」

という話。

イチローさんは昔から、一年364日(でしたっけ)練習
したり、毎日カレーを食べていたり、同じトレーニングを
毎日行ったり、試合でも一定のルーティーンをやったりと、
とにかく「同じことを繰り返す」のが得意だとのこと。
聴く曲も一曲でいいみたいです。

フラフラせず、自分が決めたことをずっと毎日、やり
続けることが、あのような大記録を生んでいるのだと思い
ます。

そして、

「効率的に最短距離を行くのではなく、遠回り
することが大事」

という会話。

情報過多の時代、例えば自分に合った情報をうまく
受け取り、それを利用して最短距離で事をなそうと
思っても、それは無理だし、やめたほうがいい。

いろいろやってみて、試行錯誤して、失敗して、
その上で得ていく方がいいのです。

そこには失敗という果実があり、それが後で
役に立つことが本当によくある、と僕も思っています。

あと、野球的にもいろいろと勉強になることがありました。

「胸を見せたら負け」とか、
「筋肉をつけて体を大きくするのは、全然ダメ」とか。

学ぶことはたくさんあります。人生、勉強です。

怠惰なあなたへ。今日から、今から。

僕と同じ、怠惰なあなたへ。

昨日もダラダラしてしまった。

やろうと思ったことが、出来なかった。

友達や知り合い、他人はもっともっと
前に進んでいる。

もっと頑張らなきゃ。

でも結局、ダラダラしてしまう。

そんな人も多いのではないかと推察します。
僕もまさしく、その一人です。

でも、過去にもどってもう一度やり直すことは、
ドラえもんが傍らにいない限り、できません。

ドラえもんがいたとしても、過去を変えるのは
ご法度で、できないのです。

だから、今日から、今から、やればいいのです。

毎日やろうと決めたことが出来ない、そんな人は、
これから毎日やればいいのです。

昨日までの行動を反省して、今日からに生かす
ことは大事ですが、昨日までの自分を悔やむ
必要はないのです。

今日から、やっていけばいいのです。

今日から、今から、”超集中”する。

やると決めたことを毎日コツコツ丹念にやって
いく。

他人を羨んだりしない。自分がやればいい。

それでいきましょう。

きっと、やれますよ!

4月1日の思い出。

昨日は朝からずっと、一応仕事態勢で自宅と事務所。

お客さん関係の仕事をして、原稿を書いて、
高校野球を観て、本を読んで、という感じで
過ごしました。

他に、今後の計画、4月の計画などを立てたりも。

まだまだ、ダラダラ癖は直りません。

ここは暦の力を借りて、新年度ということで
今日からハリキっていこうと思っています。

4月1日は母の誕生日。あとで電話しようと思います。

思い出すのは27年前、東京に出てきて引っ越しを
終えて、大学の入学式に出席しました。

前日、息子がこれから住むアパートに一泊した母は、
僕が入学式から帰ってきたら、置き手紙を残し、
すでに西宮に帰っていった後でした。

テーブルに置き手紙が。

母は田舎の中学を卒業してから大阪に丁稚奉公的に
働きに出て来ていたので、あまり学がないことを
自覚していました。

文章を書くのとかは、苦手だったと思います。

そして、あまりきれいではない字で、一生懸命
息子のために、段ボールの切れ端とメモ帳に
手紙を残してくれていました。

いまでもあの筆跡と手紙の感触を思い出します。
(今も持っています)

金物屋などでいろいろと買ってくれて、それを
どこそこに入れておいたから、ということ、
「これからは一人でやっていかなあかん」とか、
「お母さんも悲しいけど頑張る」とか、
そういったことが書いてありました。

それを読んで、僕はボロボロと泣きました。

初めてのホームシックと言うのでしょうか。

今でも4月1日には、春の「ぽわーん」とした陽気や、
桜の花や、母の手紙のことを思い出します。

春は好きな季節です。

ちなみに、母は今も元気に暮らしています。